INTERVIEW
2021.01.15UP
オーガニックコットンの認知率が7割を超えた今、ORGABITSが目指すもの

ORGABITS誕生時に起こった逆転劇

小出大二朗(ORGABITS/以下、小出):この機会に聞きたいのですが、溝口さん個人がORGABITSをやろうと思ったのは、どんなことがきっかけだったんですか?

溝口:一番大きなきっかけは、息子が生まれたことです。僕はORGABITSを始める前は 原料部門の営業をしていて、インドネシア駐在などをしていました。当時は生機(きばた:糸を織っただけで、染色・仕上げ加工される前の布)と呼ばれる原料を紡績会社やテキスタイルメーカーに売る仕事だったのですが、それを説明するのはややこしい。将来、息子に「お父さんはお仕事で何をやっているの?」と聞かれた時に、分かりやすく自慢できることをしたいなと思ってました。

もともと豊島への入社動機も、海外に行きたいということと、ビジネスを通して社会貢献したいということだったんです。ちょうどその頃、会社がオーガニックコットンを取り扱い始めたけれど、なかなかビジネスにならない時期だったので、それに挑戦してみたいと思いました。マス市場の商業規模でオーガニックコットンを扱える会社は、日本では豊島だけだろうという思いもありました。

鎌田:それでオーガニックコットンをもっと広めるアイデアを考えたんですね。実際にORGABITSを始めることになった時に、社内ではどんな反応がありましたか?

溝口:原料部署ではオーガニックコットンを少し混ぜて使うというのは、おもしろいアイデアだね、と、とても盛り上がりました。でも、製品部署の方々は誰も賛同してくれませんでした。「まがいものみたいに思われる」「ファッションブランドに、そのコンセプトは受け入れられない」って。

鎌田:そこをどうやって突破したのですか?

溝口:明確なきっかけがあったんです。社内で「デニム番長」と呼ばれていた佐藤健二という一人だけ「ミゾ、それはおもしろいよ! デニムって環境に悪いと思っていたんだ。経糸には使えないけれど、緯糸の白糸にだったら、オーガニックコットンは最高だよ!」と、デニムのLeeの細川秀和さんを紹介してくれたんです。すると「そのコンセプト、めちゃくちゃかっこいいよ」と、LeeとWranglerで使ってくれました。

鎌田:その後はすぐに広がったのですか?

溝口:価格の課題もあり1年ぐらいはなかなか売れなかったのですが、その後アダストリアさんのグローバルワークのTシャツに採用されて、そこから急に広がっていきました。

フェリシモさんと始まった、インドのNGOチェトナオーガニックへの寄付

鎌田:ORGABITSのお洋服が売れると、1枚につき1円が一般社団法人PEACE BY PEACE COTTON PROJECTを通してインドのオーガニックコットンを促進するNGOのチェトナオーガニックさんに寄付されますよね。ORGABITSのオーガニックコットンはインドで生産されたものをずっと使っているのですか?

溝口:オーガニックコットンの聖地といえば、アメリカ・テキサスのラボックという街なんです。そこでしっかり管理された無農薬の綿花こそ、オーガニックコットンだという時代があったんですよ。だから、最初はアメリカのものを使っていました。その後インドになり、そして今はトルコで生産されたものを使っています。

インドはORGABITSを始める前から気になっていたのですが、ちゃんと向き合うには問題が大きすぎると思っていました。だから、豊島としてはインドのオーガニックコットンのビジネスは行っていましたが、ORGABITSとしては深く関わっていなかったんです。ところが、フェリシモの「haco.」の葛西龍也さんという人が豊島にやってきて、綿花栽培の裏側を知ってしまった、フェリシモとして社会にしっかりと責任を果たせるインドオーガニックコットンで商品を作りたい、というお話を頂いたんです。

葛西さんからお話を頂いた上司と私の部署のメンバーでも話し合ったのですが、ご要望に応えるため、インドのオーガニックコットンに向き合っていこうということになりました。

鎌田:そうなのですね。でも、そもそもなぜ、インドは問題が大きいと感じていたのですか?

溝口:インドでは綿花栽培が社会問題に深く結びついていましたから。インドはカースト制度があって貧富の差が激しいことと、農村部の様々な問題が綿花栽培にも複雑に絡み合っていると聞いていました。それに綿花を栽培するような場所は外国人が入り込みにくく、治安が悪いのです。それでためらっていたのですが、葛西さんと出会ったことで豊島で綿花に関わる面々の熱も高まり、フェリシモさんのPEACE BY PEACE COTTON PROJECTを支える仕組みを作ろうと、僕たちORGABITSチームもインドに深く関わっていくことになりました。

そして、フェリシモさん達と豊島メンバーがインドを訪問した際にJICAインド事務所の山田浩司さん(当時)と出会い、そしてその協力がきっかけとなって、その後チェトナ・オーガニックというNGO団体が農業支援をしているというオリッサ州の「コットン栽培の最深地域」の生産者の村々に私も行くことになったんです。

鎌田:その村ではずっとオーガニックコットンを作っていたのですか?

溝口:いえ、そのチェトナがオーガニックコットンへの転換を指導していました。このチェトナオーガニックは国際NGOのインド側のスタッフだった人たちが立ち上げた団体で、インドが自ら変わるべきだとの問題意識を持ち、オーガニックコットンの栽培を通して現地の方々の生活の課題に真摯に向き合っていました。

一般的にインドの農村部では、農薬と遺伝子組み換え種子を小作人の方たちがセットで買う習慣があり、地主に頼り、貧困に苦しむ悪循環が常態化していると言われていました。その習慣を変えるということは大変なことです。

鎌田:では、そのチェトナオーガニックからコットンを買うことになったのですか?

溝口:いえ、なかなかそうもなりませんでした。インド国内の流通ルールがあって、現実的ではなかったのです。でもチェトナのオーガニックコットンではありませんでしたが、既に回り始めていたPEACE BY PEACE COTTON PROJECTの輪の中で、インドオーガニックコットンを買い、売れたらチェトナオーガニックに寄付が届く仕組みが始まりました。そしてお陰様でORGABITSもすっかりインドからの輸入がテキサスを上回るようになりました。

鎌田:そういう経緯だったのですね!

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