INTERVIEW
2021.02.09UP
ギブ&テイクでは世に豊かさは増えない。ジャパンハート吉岡秀人医師の考える、豊かさの作り方

「いただいたもの」としてのジャパンハート

小出:吉岡さん達は熱い心を持って活動をなさっているので、団体の名前がぴったりだなと思うのですが、なぜ「ジャパンハート」と名付けられたのでしょうか。

吉岡:僕は「1つの命」「1人の人生」を大切に生きてきたいと昔から思っていたのですが、設立時の思いよりも「存続していくこと」が重要になってきてしまう組織は多いですよね。たとえば病院でも、最初は命を助けたいと思って設立したのに、いつのまにか病院を維持するために患者に必要のない治療を施すことがあります。人の命を守りたいと支援団体を作り、国連などから支援金をもらっていながら、講演活動がメインになってしまうところもあります。でも、そういう場所に身を置いたら、自分の人生がダメになってしまいます。だから、自分で団体を作ろうと思いました。

団体を作るなら、名前が必要です。どうしようかなと思いながらミャンマーの田舎でうとうとと寝ていたら、明け方に頭の中にバーンと真っ赤な太陽のようなものが浮かんできました。それが、ちょっと上が欠けていて、ハートのように見えたんです。同時に、日本がミャンマーに戦争に行き、たくさんの若い人々が亡くなったこと、それが縁で自分が今ミャンマーにいることも思い起こしました。その結果、ふっと自分の中に落ちてきたのが「ジャパンハート」という名前だったんです。

だから、なんとなく「ジャパンハート」は自分のものではない、という意識が最初からあります。日本の人たちに使ってもらって、世の中を豊かにするための組織にしないといけないって思うんですよね。

鎌田:ジャパンハートのホームページの動画を拝見しても、吉岡さんがご自分の属人性をなくしてみんなにどんどん委ね、その場にいるみんなが豊かになるような発想で運営なさっているんだなと感じたんです。そもそも成り立ち時点から手放していらっしゃったのですね。

吉岡:そうなんです。ミャンマーでは若い人たちがたくさん亡くなりました。その人達が生きられなかった人生を、僕らが生きなければならないという意識があります。若い人にはただ戦って死ぬというだけの人生だけではなくて、自由に自分の可能性を追求する人生を送ってほしいと常に思っているんですよ。

小出:吉岡さんの著書『救う力 人のために、自分のために、いまあなたができること』の中に、「熱い思いは、赤の他人のDNAにも刻み込まれる」という章がありますよね。ある人の思想や哲学、考え方、感情などは、周りの人に「精神的なDNA」として受け継がれ、その「精神的なDNA」は親から子へも受け継がれることで「遺伝的なDNA」としても受け継がれる。そして、ジャパンハートにはその「精神的なDNA」が存在するという話です。今日のお話はすべて「精神的なDNA」に繋がっているのだと感じましたし、私の心にしっかり刻み込まれました。本日はありがとうございました。

Text: フェリックス清香
Photograph: Martineye
(Instagram: dennoooch)

GUEST
吉岡 秀人さんジャパンハート最高顧問/ファウンダー、医師(小児外科)
1965年大阪府生まれ。大分大学医学部卒業後、大阪、神奈川の救急病院などで勤務の後、1995年から1997年までミャンマーで活動。その後、岡山病院小児外科、川崎医科大学小児外科講師などを経て、2003年から再びミャンマーで医療活動を再開。2004年、国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立。海外では実際の医療活動、視覚障害者自立支援活動、エイズや貧困で人身売買の危険にさらされている子どもたちの保護と養育施設「DreamTrain」の運営、災害孤児の養育支援、学校での保健・衛生教育事業、医師・看護師育成事業などを行う。国内では医療者の不足する離島や僻地に看護師を派遣する事業、小児がんと闘う家族に医療者が外出のサポート「SmileSmilePROJECT」などを行っている。
INTERVIEWER
鎌田 安里紗
「多様性のある健康的なファッション産業に」をビジョンに掲げる一般社団法人unistepsの共同代表をつとめ、衣服の生産から廃棄の過程で、自然環境や社会への影響に目を向けることを促す企画を幅広く展開。種から綿を育てて服をつくる「服のたね」、衣食住やものづくりについて探究するオンラインコミュニティ「Little Life Lab」など。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程在籍。
Instagram: arisa_kamada
INTERVIEWER
小出 大二朗
豊島株式会社営業企画室所属、ORGABITSプロデューサー。1966年1月神奈川県茅ヶ崎市生まれ。1989年立教大学経済学部卒業後、株式会社三陽商会に入社。営業、企画マーチャンダイザーを経験後、企画責任者を経て、英国ライセンスブランドのメンズ総責任者を担当。その後、米国ライセンスブランドの事業責任者、マーケティング部門の責任者とあらゆる職務を経験。2017年豊島株式会社入社後、出資会社の副社長を経て現職。
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