INTERVIEW
2021.02.09UP
ギブ&テイクでは世に豊かさは増えない。ジャパンハート吉岡秀人医師の考える、豊かさの作り方

ORGABITS(ORGABITS)では、賛同くださったブランド様とのコラボ商品が1点売れるごとに10円を、NPO法人や慈善団体に寄付しています。寄付先は厳選して、長く応援したい数カ所に絞っていますが、今回新たに、小児外科医の吉岡秀人さんが設立した認定NPO法人ジャパンハートが加わりました。
「医療の届かないところに医療を届けたい」という思いからNPO法人をスタートし、カンボジア、ミャンマー、ラオスや日本の離島、僻地などに医療者を派遣しつつ、奄美大島の伝統的な絹織物「大島紬」の復興プロジェクトにまで”医療水準を底上げするための活動として”参画なさる吉岡さんに、ORGABITSアンバサダーの鎌田安里紗さんと、ORGABITSプロデューサーの小出大二朗がお話をお聞きしました。

「大きくてたくさん」よりも「1」が大切な時代

鎌田安里紗さん(ORGABITSアンバサダー/以下、敬称略):ジャパンハートさんは今回新たにORGABITSの寄付先になったのですよね。どういった理由からなんでしょうか。

小出大二朗(ORGABITS/以下、小出):ORGABITSはオーガニックコットンを100%ではなく10%使うことで、最終的にオーガニックコットンが普及していくことを目指すプロジェクトです。そのため、「ちょっと(Bits)」を大事にしています。一方で、吉岡さんのお話を聞くと、「1人の子ども」、「1%」、「まず第一歩」、と「1」を大事にする言葉がよく出てくるんです。そこに親和性を感じたのが大きな理由です。また、新型コロナウイルスの影響もあって、オーガニックコットンを通して医療に従事されている方々を応援することはできないか、と常々考えておりました。

鎌田:私自身も、0か100かではなく、1でも2でも小さなことから積み上げていくことが大切だなと感じているんです。吉岡さんが「1」を大事になさるのはなぜなのでしょうか。

吉岡秀人さん(NPO法人ジャパンハート創立者/以下、敬称略):僕は1965年生まれで、高度成長期からバブル景気に沸いた時代の日本で育っています。その頃、大部分の人にとっての「幸せ」の定義は、いい車に乗っていいものを食べて、いい服を着て、いいところに泊まるという、物質的な豊かさとほぼ一致するものでした。企業も、国内の小さな企業よりも世界に進出しているグローバル企業や、より多くの人に関わり、より大きな売り上げがある企業の方が価値があると見なされていた時代です。そんな中、多くの企業があらゆる矛盾を放置したまま、売り上げだけを追い求めていました。

ところが、そうやってお金や物を追い求め、たくさんの物を持っても、幸せが深くならなかったことに日本人は気づきましたよね。逆に放置してきた問題がさまざまなところに見えてきて、バブル崩壊後に一気に経営破綻する企業もありました。

ちょうどその頃、僕は第二次世界大戦時にミャンマーで親族を亡くした慰霊団からの募集に応えて、ミャンマーで医療ボランティアをしていました。ミャンマーって、第二次大戦時に日本から20万人が派兵されて、2/3が亡くなってしまった国なんですよ。そのミャンマーでの医療支援という、バブルとは程遠い世界に身を置きつつ、バブル崩壊を見て思ったんです。「今の状況は、第二次世界大戦前と変わらない」って。

第二次世界大戦前、日本はほぼ農業国で貧しく、長男は家の田畑を継げても次男は食べていけなかったので、食べていくために長男以外はみな、丁稚か軍隊に出ました。それで多くの人が軍隊に集まって、日本は戦争に突入していったんです。命が安い時代で、目的遂行のために、人の命を蔑ろにしたんですね。でも、その発想の根底にある考え方は、戦後も変わってないと思ったんですよ。

そう思ったきっかけは、ミャンマーで働いていた時に国連や政府機関の偉い人がきて、「先生、一人一人ちまちま助けるのはキリがないからやめて、もっと100万人規模の人々をバッと一気に助けるプロジェクトを一緒にやりましょうよ」と言われたことです。頭では、「それはそうだな」と思いつつも、何か違和感があったんです。

当時はそれを「日本ではちまちまと一人一人助けるのに、ミャンマーでは否定されること」にあると思っていたのですが、今になってわかります。違和感の理由は、その、一人一人の命を大切にしない姿勢への疑問だったんですよね。こんなことを続けていたら、社会全体はいつまで経ったって豊かにならないんです。だから僕は「1」、一人の人生、一人の命、一つの個性を大事に考えているんです。

例えば誰かに嘘をつく場合、相手に嘘をついていますが、同時に自分の人生に嘘をついていると言えますよね。同様に、だれか一人の命を大切にすることは自分の人生を大切にすることと同じことだと言えると思います。

ただ最近は、世界の流れが変わってきているように感じます。ダイバーシティを重視して人の違いを認めようとし始めていますし、若い人は特に、持っているものの大きさや量を豊かさだとはとらえないようになってきていますから。

治療以外のものも幅広く考えてこそ達成できる「本物の医療」

鎌田:ジャパンハートは、「貧しい人々に医療を届けたい」という想いから始まったNPOですよね。ジャパンハートのホームページに載っている動画で、「命を救うだけが医療ではない」とおっしゃっているのが印象的でした。

吉岡:貧しい人々に医療を届けることは、僕にとっては当たり前のことだったんですが、集まってきてくれた人たちの共通する想いが「貧しい人々に医療を届けたい」だったんです。
なので、「ジャパンハート1.0」の段階では、ミャンマーなどで無償で主に子どもの医療を行ってきました。

ただ、そうやって続けていくとをお金がないために質の悪い医療を受けて、助かるはずの命が助からない現実に突き当たるんです。それで、お金があろうがなかろうが、誰もができる限り最高の医療を受けられるようにしたいと思い始めました。願うものが進化して、「すべての人に最高の医療を届ける」になったのです。これが「ジャパンハート2.0」です。ところが、また活動を続けていったら、今度は医療だけでは人は幸せになれないとわかってきたんです。

日本で医者をやっているとき、僕は患者の治療ばかり見ていたんですね。小児がんの子どもを助けないといけない、薬はどれにする、白血球が落ちたからどうしよう、と。ひたすら治療だけを見ていました。

でもある時、ハタっと気づいたんです。「あの患者の男の子には、妹がいたな。お母さんが男の子につきっきりだったけれど、妹はどうなったんだろうか。お父さんと二人きりだったんだろうか」と。

患者の命が助かれば治療だけでもいいかもしれないけれど、助からないこともあります。命はどこかで尽きるのです。その時に、その人にどんなプラスアルファを渡すことができたのか。それを考えた時には、治療だけで足りません。もっと包括的なものとして「医療」を再定義してもいいのではないか、医療を医療者だけのものではなく、一般の人達に関わってもらいたいと思って「ジャパンハート3.0:医療の新しい概念を創り出す」を始めました。

今回の、オーガニックコットンで医療従事者を支援したいというお話も、まさにジャパンハート3.0にぴったりなんですよ。

小出:ありがたいタイミングでした。

鎌田:ジャパンハート3.0の活動として、このORGABITSの取り組み以外ではどんなものがあるのでしょうか。

吉岡:Smile Smile PROJECTという、小児がんと闘う家族に医療者が外出のサポートをするプロジェクトをやっているのですが、そこには多くの方が関わってくれています。また、今回の新型コロナウイルスの医療者不足の支援活動には、医療者の送り迎えなどにタクシー会社さんが協力してくれました。先日は、大手百貨店の社長さんが、「自分たちの財産は一等地に店舗があることだから、ショーウィンドウを使ってジャパンハートの宣伝等の協力をしますよ」と言ってくれました。「自分たちはこんなことができるよ」と提案してもらえると、クリエイティブでおもしろいことができると思いますね。

小出:吉岡さんは大島紬の復興にも関わっていらっしゃいますよね。ジャパンハートさんへのご支援は、このBits Magazineにも登場いただいたファクトリエの山田敏夫さんからご紹介がきっかけなのですが、吉岡さんと山田さんはその大島紬のプロジェクトでも関わりがあったとお聞きしています。大島紬もジャパンハート3.0の一環なのでしょうか。

吉岡:そうなんです。もともと奄美大島の島嶼部の医療支援を頼まれたのですが、医療だけを支援するのは難しいんですよ。なぜなら、医療は人間の活動の枝でしかないからです。幹を太くしないで枝だけ太らせるのは無理ですよね。幹を太らせるためには、教育環境が整ったり、産業があったりする必要があります。そうなれば若い人が帰ってきて子育てして、医療も充実していきます。

同じ離島でも、沖縄県の石垣島や宮古島は観光業が盛んなので、飛行機がたくさん飛んでいて行きやすく、医療も奄美大島よりも充実していますよね。それで奄美大島には何かないのでしょうかと聞いたら、1300年の伝統を持つ大島紬というものがあるというんです。

ただ、担い手がもう70歳を超えている人ばかりで、最盛期の昭和40年代後半には300〜400億円規模だったものが、今は3億円になってしまっている。政府からの補助金でなんとか継続していますが、それぐらいの衰退具合です。それでも、何か起爆剤を作らなければ、と、以前からつながりのあった山田さんに相談したんです。すると山田さんがヨウジヤマモト、キャロル クリスチャン ポエル、そしてエルメスといった名だたるブランドでデザイナーを務めてきた寺西俊輔さんを紹介してくれました。寺西さんは結局エルメスをやめて、大島紬を含む日本のつむぎを使ったラグジュアリーブランド「ARLNATA(アルルナータ)」を立ち上げたんですよ。

小出:それはすごいことですね!

吉岡:医療だけやっていたら限界があるのですが、ジャパンハート3.0を始めてから、ネットワークがぐんと広がりました。

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